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略歴
1932年   福岡県久留米市に生まれる。
1961年 水天宮に勤務。
1978年   国学院大学で神職について学ぶ。
1981年   権禰宜となる。
1991年   禰宜となる。
2001年4月1日   宮司となり、現在にいたる。


※何事のおわしますかはしらねどもかたじけなさに涙こぼるる
「どなた様がお祀りされているのかは知らないが、とにかくありがたくて涙がこぼれる」
西行法師ですら、御神体が何様だかわからないが、とにかくありがたいものにすべて頭を下げていらっしゃいるということ。
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 今回の「今月の顔」は水天宮の宮司、赤司美知子さんです。赤司さんは今年の4月1日に、水天宮で初めての女性宮司になられました。また、一般の方からは神社本庁所属の神社で全国3人目の女性宮司でもあります。神職が天職といったお方で、水天宮と共に歩んでらしゃった日々を、穏やかな微笑みをまじえながらお話下さいました。
水天宮にいらしゃったきっかけはどんなことでしたか。
私の両親は福岡県久留米の者で、有馬藩に属していました。私が20代(昭和20年代)の時は、まだ封建制が強く残っており、特に九州は男性優位の社会で、女性は大学にいくよりも結婚を強いたげられる時代でした。私は6人きょうだいの長女ということもあり、家事の手伝いをしていましたが、29才になってもお嫁にいかない私を見兼ねた父により、東京の水天宮でお勤めすることを勧められ、昭和35年に参りました。
 
ご両親はどのような方々ですか。
 九州は男尊女卑のきびしい土地柄ですが、父は母や私達に優しい人でした。そのような姿を見て育ったため、いつしか父が理想の男性象となりました。
 
水天宮にお勤めが始まった頃はいかがでしたか。
 神社という所は、お琴をひいたり、習字のお稽古をしたりして、のんびりとした優雅な時間が過ごせると思っていたのですが、一歩入ると、忙しさを極めていました。毎朝3時には起き、お宮の近くの社宅から参り、潔斎(けっさい)をしたのち掃除をし、神様にお供えものをして一日が始まります。自分のことを考える余裕がないくらい、神様へのご奉仕で一日が過ぎて行きました。
 
水天宮の縁日は昔から有名ですが、当時はいかがでしたか。
 その当時から参拝者が多く、毎月五日の縁日は、箱崎の首都高速道路入口から人形町の交差点まで、お店が並び、子供達が一日遊んでも遊びきれないほどの賑わいでした。当時は護符信仰のお参りの方も多くいらっしゃいました。
 
どのようなことがきっかけで、神職につかれたのでしょうか。
 先々代の甲斐田宮司から、神職の勉強を勧められましたが、その為には1ヶ月以上お休みを戴く必要があり、私に代わる人もいませんでしたのでお断りしました。しかし先代の植田宮司の時代には神職も3名となり、ご支援を賜り、46才の時に決心をいたしました。朝6時までに神社にご奉仕したのち、8時までには国学院に行くという、厳しい試練でした。神様が好きでしたし、神職が天職だと思っていましたので乗り越えられたと思います。
こうして昭和56年に権禰宜(ごんねぎ)、甲斐田宮司の亡くなられた平成3年に禰宜(ねぎ)になりました。
 
水天宮のお勤めで、ご苦労されたのはどんなことでしょう。
 毎月5日と戌の日の参拝者の多さには驚かされました。それに様々な苦しみから藁(わら)にもすがりたいという方の相談を受け、どのように神様の存在をお伝えしお導きするか悩みました。少しでも悩んでいる人のお役にたればと、37才の時から四柱水命を学まなんでおります。これは統計学で運勢を当てる確率が高く、いまだ勉強中ですが、とても役にたっています。
 
水天宮では初めての女性の宮司ということですが。
 水天宮の宮司としては四代目になります。私のように一般の人から宮司になったのは、神社本庁所属の神社では全国で3人目、東京では初めてです。宮司となっても神様へのご奉仕と言う同じことを続けているのですが、責任の重さをしみじみと感じています。
 
水天宮の歴史をどのようにお感じになりますか。
 1818年(文政元年)、参勤交代で財政が厳しいにもかかわらず、江戸三田赤羽の有馬藩邸に有馬頼徳(よりのり)公が領地久留米水天宮の御分社を神主に命じ建てられたのが始まりです。明治元年、有馬邸が青山に移ると共に青山へ、さらに明治5年11月現在地に移りました。毎月5日の縁日に限り藩邸が解放され参拝が許可されましたが、普段も門外よりさい銭を投げ参拝するほど庶民にもてはやされ、藩を助けたといわれています。
昭和39年に、神社総代が白木屋の社長の時、今後の車社会を見据えてご神体を上にあげ駐車場をその下に造ろうと提案され、42年に完成しました。現在は土曜日の参拝、お宮参り、七五三と車で来る方が多く、喜ばれています。また戌の日には若い人のご参拝が増し、一人の赤ちゃんに両家のご両親など十人ぐらいで参られるので、月に約2万人の方が参拝されます。鐘守の歌もでき、今年四月にはエレベーターも出来ました。
常に時代に即した変化を遂げてきました。
 
若い人たちにお言葉はございますか。
 今の若い人たちは非常にお気の毒だと思います。厳しさとか、ハングリー精神もなく、満ち足りているので欲望もないのではと感じます。若い頃に厳しい体験をすることは人生において非常に大切で、将来大きな財産になると思います。
 

※記事の組織名や肩書は掲載当時のものです。  
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