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中西 智海
座右の銘 真向きに生きる

 
浄土真宗本願寺派・本願寺築地別院 輪番 中西 智海氏
略歴
昭和9年 富山県氷見市生まれ
昭和36年 龍谷大学 大学院文学研究科博士課程修了
昭和63年 大阪の宗門関係の学校である相愛大学・相愛女子短期大学の助教授、教授を経て、学長を6年間勤める。現在相愛大学名誉教授
平成7年 京都の中央仏教学院院長として、浄土真宗本願寺派僧侶の育成に寄与。その間、1年間ブラジルに渡り、南米開教区開教総長を兼任
平成13年9月 本願寺築地別院(築地本願寺)輪番に就任、現在に至る

役職 
浄土真宗本願寺派首都圏宗務総合センター所長を兼任
他、現職に 富山県氷見市西光寺住職、浄土真宗本願寺派司教

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 中央区築地の地に凛として建つ築地本願寺。その美しい建物は、市場とともに多くの人たちに親しまれ、東京の観光名所のひとつともなっている。正面入口には総合案内所が設けられ、英文のパンフレットが置かれるなど、訪れる観光客にとっても、心配りが行き届いている。「これからのお寺は、開かれていなければ・・・」とおっしゃる中西ご輪番。宗派に囚われない仏教によるエネルギッシュな精神教育を推奨する中西ご輪番に、本願寺と中央区との係わり、地域と密着した行事、一般の人を対象とした催しの数々や、心豊かな人生のあり方など、機知に富んだ楽しいお話を伺いました。
平成13(2001)年から、本願寺築地別院( 築地本願寺 )のご輪番に就任されていますが、宗教の道に進まれたきっかけと、これまでの経緯を簡単にお話下さい。
  生まれは富山県の氷見(ひみ)市で、地名の由来は、富山湾の海の向こうにいつも立山連峰の氷が見えることから名付けられた所です。海や山などの、壮大な自然と親しみながら、幼少時代を過ごしました。家は西光寺という寺で、現在もその住職を兼任しておりますが、実務は息子が手伝ってくれています。寺に生まれたから僧侶になるという考えはありませんでしたし、若い頃の一時期は、仏教に疑問を抱いたこともありました。しかし、やはり生まれ育った環境が影響するのでしょうか、仏教という何か大きなものに包まれ安堵する気持ちと、子供の頃に自然の中で暮らし培われた感覚との間に共通性があったように感じます。さらに、仏に手を合わせる母の姿を見て育ったということも、この道に進む大きな影響力となったと思います。進路を決める高校2年の頃には、自らの意志で、仏教を学ぼうと決心していました。当時受験勉強に使った英語辞書の裏には 「仏教のために英語をやる!」などと言う言葉が綴られていて、現在も残っています。
 京都の龍谷大学に進学し、大学院を修了後、大阪にある相愛大学に奉職し、26年ほど教員生活を送りました。さらに京都の中央仏教学院で、浄土真宗本願寺派の僧侶の育成に努め、開教(普及)の目的で南米のブラジルに1年間行っておりました。そして、平成13年から、築地別院の輪番に就任という経緯です。教育畑が長かったので、お経を読むのはあまり得意ではないと思います。言葉はいまだに富山弁が抜けておりませんし、関西弁と混ざって、おかしくないですか(笑) 。
 
ご輪番になられ、中央区との関わりを深められましたが、抱いておられたイメージと、実際に来られてからのご感想をお聞かせ下さい。
 文部省などに出向く用事があり、たびたび東京には来ていましたが、車や人がとても多く感じられ、仕事が終わったらすぐに帰るといった具合でした。あくまでも仕事で行く場所でしたので、住むところというイメージはなかったですね。着任して2年あまり経ちますが、まだ築地界隈しか知りません。東京の中心にしては、人と人とのお付き合いも気さくで、住み心地はとても快適です。語弊があるかもしれませんが、市場の雰囲気や町の感じは、思っていたよりも「田舎っぽい」ので、私としては、馴染みやすく違和感なく溶け込めています。市場移転に関しては残念に思いますが、中央区の香りとして、何らかの形で残る構想を是非盛り込んで欲しいと思っています。
 
築地本願寺は関東大震災後の昭和9 (1934) 年の落成と伺っていますが、建物の見所などご紹介いただけますか。
石造りの動物  ちょうど昭和9年は私の生まれた年で、同じ年月を過ごしてきたのかと思うと、とても感慨深いものがあります。本堂は、本山(西本願寺)の第22代門主であった大谷光瑞師の構想と、東京(帝国)大学工学部教授の伊東忠太博士の手腕により、非常に荘厳で美しいインド仏教様式になっています。内装は、桃山様式の純和風で、外装同様に素晴らしい造りです。細部も是非ご覧になって頂きたいのですが、随所に珍しい石造りの動物を配しています。羽の生えたものや、不思議な形態の動物など、多くは彼岸の動物たちです。ひとつひとつを見てみると大変興味深いものです。人間に限らず、あらゆる動物たちの命もまたかけがえのない「ひとつの命」であるということを、仏教の殿堂として形に表しているのだと思います。築地本願寺に棲む動物たちはホームページ(http://www.tsukijihongwanji.jp/)でも写真入りで紹介しておりますので、一度ご覧になって下さい。
 また、本堂の後方にはパイプオルガンが設置されています。これは昭和45(1970)年、アメリカ各地の教会を視察された仏教伝道協会発願者・故沼田恵範氏より寄進されたもので、仏教寺院には大変珍しいことです。手入れには膨大な費用がかかりますが、本願寺の様々な行事に、荘厳なパイプオルガンの調べが華を添え、心を癒す一時を提供してくれています 。
 
魅力あふれる築地本願寺ですが、ご輪番になられ、特に力を入れていらっしゃることをお聞かせ下さい。
 お寺は葬儀の場など、暗いイメージで受け取られがちですが、それだけではありません。結婚式もあれば、子供の初参式、七五三(めぐみの参拝)、成人式、銀婚式、金婚式など、人生の節々を祝い、心を養う場所なのです。もちろん葬儀も大切ですが、仏教でいう死とは、無常、儚さを嘆くものではなく、往生( 往きて生まれること)であり、どこまでも前向きな考えに基づいています。お寺はそういう場所である、という積極的なアピールが必要です。
お寺に観光客として見えた方であろうと、ご縁があってのことと大切に思う心をもつように対応しています。総合案内所や案内板を設置し、英文のパンフレットなども用意しています。そして、お客様のどんな些細な疑問やお尋ねに対しても、快くお答えするようにしています。
また、「お寺は開かれたものでなくてはいけない」というのが、私の考えです。まだまだ十分ではありませんが、いろいろとアイディアを出しながら試行錯誤しています。私自身は月1回の歎異抄講座で解りやすいお話をするよう心掛けていますし、他にも「土曜家族礼拝」や、「いのちのオアシス」という公開講座も年に数回開催しております。現在の週休二日制で、ゆとりの時間を持つことを奨励していますが、子供たちは塾通いなど忙しい生活で、家族で行動することが少なくなっています。家族全員でなくとも、家族と連れ立って「土曜家族礼拝」に参加していただきたい。また、公開講座「いのちのオアシス」は宗教に囚われず、西川へレンさんや中村メイコさんなどをお招きし、お話をしていただいています。一般の方たちに様々な情報を提供し、「生き方のヒント」になればと思っています 。
築地本願寺
 
盆踊り・除夜の鐘など、一般の人々が参加できる年中行事がとても盛大だと伺っていますが。
 8月初旬に3日間行われる「築地盆おどり大会」は、中央区の内外からのべ8000人もの人々が参加して下さる盛大なものです。本堂前の広場と駐車場をすべて開放し、ちょうちんを掲げ、夜店の屋台が並び、浴衣姿の老若男女が賑やかに踊り、真夏の夜の宴が繰り広げられます。奉賛会や町会、商店会などの協力体制が非常にしっかり出来ています。地域社会とお寺の歴史的な深い関わりが感じられ頼もしく、嬉しい思いです。人間のいるところ、歌と踊りがある。私も盆踊りに参加していますが、生命のしくみの原点のようなものを感じますね。
 もう一つは、12月31日の「除夜会」。その年最後の法要が勤められ、続いて一般の方々に除夜の鐘をついていただきます。例年、多くの方たちが、鐘をつくために長時間並んで下さり、本堂は入りきれない人であふれます。築地本願寺では、法要にご参拝いただいた方全てに鐘をついていただいておりますので、是非一度お越し下さい。皆様とともに除夜の鐘の音を聞きながら、一年の終わり、新しい年明けをお祝いしたいと思います 。
 
「スローライフ」「心の豊かさの時代」と言われていますが、今後社会にどのようなことを発信していきたいとお考えですか。
中西 智海氏  東京はなんと言っても日本の中心地であり、政治、経済、文化の中心にあるわけです。東京から発信するということは、日本国内に留まらず、全世界に発信できるということなのです。築地本願寺が中央区・築地にある意義はそこにあるのです。京都の本山とは異なった築地ならではの活動をしていかなくてはならないと思っています。
 ひとつには国際性を養っていきたいということ、さらには、深さのある人間を育てていきたいということです。不幸な戦いが中東では繰り広げられていますが、これからの世界は権力では制覇できません。人と人の心を繋ぐのは、同じ目線に立った対等な人間関係です。親と子の関係でさえ、互いに支えあって同時に成り立っているのです。仏の教えの基本原理であるこの思想が、現代世界に一番欠けていることではないでしょうか。誰もが人間の考え方、ものの見方を深く掘り下げ、生命の大切さを味わいつつ充実した生を生きるには、心を起こし、命を起こすことこそが大切です。"孤独な群集"というリースマンの言葉がありますが、単なる群れではなく、ひとりひとりが人間として、心を通わせ合う社会を取り戻すために、宗教の果たす役割は大きいと思っています 。
 
「他力本願」という言葉の捉え方が、論争を巻き起こしていると伺いましたが、それについてひと言お聞かせ下さい。
 辞書で調べてみると、他力本願という言葉は、(1)浄土真宗では阿弥陀仏の本願、(2)他人を頼ること、と出ています。
本来、浄土真宗から出てきた言葉ですが、意味が変質して独り歩きを始め、(2)の方が一般的になりつつあることに問題点があります。他力という言葉は、人間対人間の相対の力を表す言葉ではなく、仏の絶対力を指して使われる言葉なのです。他力不思議という言葉もありますが、我々人間の思慮分別をも超えて、包み込んでくれるものが他力なのです。本来の言葉の持つ意味を大切にして欲しいと思います 。
 
これまでの人生で心に残る出来事、人との出会いがございましたら、お聞かせ下さい。
 昭和30年頃のことですが、京都にあった顕真学苑という研究道場で5年ほど寝食をともにしご指導頂いた高千穂徹乗師のことは忘れられません。大学の先生をしておられた方ですが、喉頭がんで声を失われていました。朝、だれよりも早く仏壇に向かいお花を整え、お経を唱えられるなど、師の生活すべてが、身業(しんごう)説法といいましょうか、身体そのもので心を表しておられました。「声を奪われたことは、人間として寂しいことだが、声に出して唱えなければ、救われないという訳ではない。声なきままに感謝の念仏を唱え、一生を送りたい」とメモ書きされた文章が、とても感銘深く心に残っています。そして、「立派な声を持っているあなた方は、それを無駄に使わず、仏法を広め、世の中安穏なれと思った時にこそ、その大切な声を使いなさい」と、常に仏のような穏やかな笑みを浮かべておられました。まさに本物の声なき仏教思想家であったと思います。
 
最後に、次代を担う若い人たちへのメッセージを。
 たったひとつ、「かけがえのない命を輝かせ」ということでしょうか。人生には代理人はいないのです。あなたはあなただけしかない。仏法の中に、青色青光、黄色黄光、赤色赤光、白色白光という言葉がありますが、その人でなければならない特色ある色と光が必ずあります。それを見出し、精一杯輝かせてください。 中西 智海氏
 

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