その他役職 東京商工会議所常議員、東京商工会議所中央支部副会長、社団法人日本専門店協会相談役、全日本眼鏡連盟名誉顧問、東京販売士協会会長、東京中央大通会名誉会長、学校法人東京オプトメトリックカレッジ理事、日本小売業協会監事
趣味は、油絵
私の祖父(栄一)は、九州の出身ですが広島や大阪でいろいろ苦労をし、明治時代に東京に出てきました。文明開化の気運をとらえ、輸入貿易の仕事で店を起こしました。はじめはいろいろ新しい商品を扱っていたようですが、その中でも特に「眼鏡」に興味をもったようです。それで、二人の息子をヨーロッパとアメリカに送り、眼鏡専門店としての知識と技術を取り入れました。まず伯父をヨーロッパに出し商店のあり方を学ばせ、さらにアメリカに4年間留学した父には、眼鏡学の学科と実地の勉強をさせました。そのため戦前から最新の機材を揃えた店として、非常に繁盛したそうです。 初めの店は八重洲通り付近にありましたが、八重洲通りを広げる行政区画で、大正時代に京橋に移りました。当時日本橋と京橋は同じ町続きで、日本橋は河岸を中心に食料品を扱う店が多く、この京橋近辺は、輸入品、貿易品を取り扱う洋品店や靴屋や雑貨店などが多かったと聞いています。私の生まれた頃にも、まだ昔の商家の形態が残っていました。当時は間口の広さで税金がかけられていたので、間口が3〜4間、奥行きが20間という細長い店構えでした。戦争で銀座の店は空襲で焼け、京橋は強制疎開となりましたが、機材は、幸いにも鎌倉に移してありましたので、昭和20年末には高島屋と伊勢丹にショーケースをおいてスタート、まもなく京橋の店も復興しました。戦後復興時は供給が追いつかないほどの活況でした。