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略歴
1943年 東京生まれ
1952年 初代尾上菊之丞に師事
1964年 六世藤間勘十郎に師事
三代家元、二代尾上菊之丞を襲名
1966年 青山学院大学経済学部卒業
1971年 「菊之丞の会」発足
1972年 七世尾上菊五郎と「よきこと会」発足
1983年 (社)日本舞踊協会理事就任
1986年 古典・新作発表の場として「冬夏会」発足
1998年 「尾上流50周年記念舞踊会」開催
2001年 共立女子大学文芸学部舞踊学講師(非常勤)となる
2003年 (社)芸団協理事就任

第2回花柳寿応賞新人賞(1988年)、第11回松尾芸能賞優秀賞(1990年)、文化庁優秀舞台奨励(1990年)、第22回舞踊批評家協会賞(1991年)、第58回日本芸術院賞(2002年)受賞。
歌舞伎をはじめ、新派、宝塚、花柳舞踊の「東をどり」「鴨川をどり」など振り付け指導を行う。ハワイ、ロスアンジェルス、セビリア、リトアニアなど海外公演も多数。
趣味 音楽鑑賞
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 今回の「今月の顔」は、日本舞踊・尾上流三代家元の尾上菊之丞さんです。21歳の若さで尾上流家元を襲名、以来40年余、「創作の無い伝統はない」の信念のもと、舞踊という古典芸能がいつの時代にも新鮮な感覚で人々の心に響くよう、その普及、発展にご尽力されてこられました。「静」のたたずまいの中に垣間見せてくださった、積極果敢な「動」の心。
幼い頃から慣れ親しんだ大好きな銀座の町、その移り変わりと今後の中央区への思いなど、興味深いお話を伺いました。
尾上流の創立と現在にいたる経緯、特徴をお聞かせください。
 大正から昭和にかけて著名な歌舞伎役者六代目尾上菊五郎が、歌舞伎における舞踊の独立をはかり、自ら初代家元となり尾上流を創流しました。舞踊の改革という意味では非常に功績のあった人で、現在の日本舞踊の大半の流派が、多かれ少なかれ六代目の影響を受けていると言われています。その後尾上流は、踊りの才に秀でた門弟の初代菊之丞に引き継がれ、家元としては私が三代目になります。流派の特徴としては、洗練された流麗で活気溢れる踊りということでしょうか。稽古場兼住まいは初代菊之丞が新橋花柳界と関係が深かったこと、また、向かいには六代目菊五郎さんの住まいもあったことから、現在の銀座の地に定めたようです。
 
大学在学中の1964(昭和39)年に、三代家元、二代菊之丞を襲名されましたが、踊りを始められたのはいつ頃からですか。
 生まれは東京の小岩ですが、生後まもなく疎開で前橋の方に移り、小学校2年の時に初代菊之丞のもとに引き取られました。踊りを始めたのは9歳で、なかなか馴染めず紆余曲折がありました。いずれは「後継者に」という周囲の重圧もあり、ますます嫌になってしまい、高校2年の時には 「踊りは辞める」と言って、しばらく離れた時期もありました。いろいろ悩んだ末、大学3年の時「やはり私には踊りしかない」という結論に達し再度始めました。しかしその半年後に、先代がハワイの公演先で急逝し、目まぐるしい展開でしたが跡を引き継ぐことになりました。「踊れない家元誕生」などと当時週刊誌に書かれたりしましたが、踊りから離れ悩んだ時期を経たお陰で、自分の将来に対する指針が定まりましたので、新たな気持ち、意欲とやる気で踊りと向きあうことが出来ました。
 
尾上流に代々受け継がれている教えや教訓には、どのようなものがございますか。
 歌舞伎は400年、能は800年と古い土壌の中で培われてきたものです。古風というのは単に古めかしい感覚だけではありません。初代家元六代菊五郎は、確立されたものを壊し、崩すことによって、新しい感覚を取り入れようとしました。
「昨日は昨日で、もう古いのだ」という言葉を、先代菊之丞がよく口にしていましたが、常に先端を行く、伝統の最前線にいることが大事だと教えられました。古典も常に新鮮でエネルギーに満ち満ちている。尾上流の舞踊の魅力もそこにあります。さらに六代菊五郎は、創流の言葉の中で、芸の品格の大切さを言っております。芸の中には品格が無ければなりません。品とは、無駄のない集約された力強いエネルギーのこと。また格とは、気迫に満ちた高い精神のことです。尾上流の舞踊精神は、こうした品格を持ち備え、常に新しい息吹を吹き込んで行くことだと思っています。
 
家元になられ、とくに力を注いでこられたことには、どのようなものがございますか。
 舞踊の稽古は、まず古典を教わることから始まります。古典の稽古を積み習得すればするほど、古典の良さ、魅力を知り、新作に対する興味を失いがちになりますが、しかし、古典が古典たる所以は、常にそこに新鮮さがあるからなのです。大切なのは創造心なのです。老いたものばかりで新鮮さ、活気、生命力を保つことが出来るでしょうか。新しい作品を造ることこそ重要です。「創造は伝統の一環で、創造の無い伝統はない」というのが私の持論です。日本舞踊協会の創作舞踊劇場を20年来担当しており、流派を超えた創作舞踊の発展に力を注いできました。毎年ル・テアトル銀座で「創作舞踊劇場」を公演していますが、この公演を銀座の恒例行事として今後も盛上げて行きたいと思っています。舞踊家はアーティストであり、人間の欲を喚起させる芸術性を、照れずに主張することだと思います。尾上流および公演情報については、HPがありますので、是非アクセスしてみてください。http://www.onoe-ryu.co.jp/
 
クラシック音楽と日本舞踊の競演、大学講師など、新しいジャンル、幅広い分野に意欲的に挑戦していらっしゃると伺っていますが。
 新しいもの、人との出会いが、新しい活力、手法、美意識をもたらしてくれます。30歳のころからベートーベンを聴き、作品を生み出していった足跡をたどるうちに、ある意味で、ライバル意識のようなものさえ感じました。洋楽やチェロとの競演は、賛否両論いろいろ難しい点もありますが、新しいものを創造するひとつの試みとして、機会があれば今後も挑戦して行きたいと思っています。
大学での講義は、若い人たちに、日本の美意識、古典芸能、日本舞踊の鑑賞法などを言葉で伝えるという点で、たいへん私自身の勉強にもなっています。学生たちには、美の根源は論理であり、様々勉強し理性・知性を高め、違いを明確に判断出来るようになりなさいと、声を大にして言っています。感性は論理を昇華させ、はじめて生まれる境地だと思います。
 
昨今は都心部の再開発で、中央区も変貌を遂げています。今後の中央区に望むことなどがございしたら、お聞かせ下さい。
 やはり、昔も今も銀座は私の好きな最高の場所で、新しいエネルギー溢れる最先端の町だと思います。ただ、踊りと同じで、古いだけで生命力のなくなったものは消滅するしかありません。今後は「最先端の町」という呼称に安住することなく、より便利で、より新鮮で、アートな美意識あふれる町になってもらいたいと思います。保護し守るのではなく、グローバルな意識を持って、常に新しい生命力を吹き込む必要があるのではないでしょうか。敷石ひとつにもアートな感覚が行き届いた町であって欲しいですね。
 
これまでの人生で、心に残っている出来事、出会いなどがございましたら、お聞かせ下さい。
 なにしろ「踊れない家元誕生」からのスタートでしたから、いろいろな方と出会い、様々影響を受けました。なかでも一番強く影響を受けたのは、踊りの師である六世藤間勘十郎さんとの出会いです。芸の精進は、人格を磨くことであり、しっかりした信念をもつことだと教えて頂きました。60歳にしてようやく思い切りがよくなったように感じています。物事が分かってくるのはこれから、100歳までは現役で頑張りたいと思っています。
 
最後に、中央区の次世代を担う若い人たちに、メッセージをお願いいたします。
 常に一歩踏み出す前向きな「攻めの心」を持って進んでください。失敗を恐れない勇気と、惜しみない努力あるのみです。才能があるとか、無いとかはさして重要なことではありません。若くして持ち上げられると錯覚を覚え、かえってつぶれてしまうケースも多くみかけます。強い信念と、目標に向かって進む真の「力」を養っていくことが、なにより大切だと思います。
 

※記事の組織名や肩書は掲載当時のものです。  
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