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略歴
昭和15年11月 東京生まれ
昭和38年3月 慶応義塾大学経済学部 卒業
同年4月 株式会社富士銀行入社
昭和41年12月 同社 退社
昭和42年 1月 株式会社中西儀兵衛商店(現ブルーミング中西株式会社)入社
同年3月 同社 取締役に就任
昭和47年3月 同社 専務取締役に就任
昭和50年3月 同社 取締役社長に就任、現在に至る

その他役職
東京都布帛製品工業組合理事長、日本布帛製品工業組合連合会副理事長、
関東ハンカチーフ協会会長、日本ハンカチーフ連合会副理事長、協同組合
西印度諸島海島綿協会理事、社団法人東京実業連合会理事、
東京織物卸商健康保険組合理事長

中央区関連役職
日本橋防火協会理事、久松警察懇話会副会長、久松警察防犯協会会長

趣味はゴルフ、旅行、音楽(ハワイアン)、写真撮影など多彩。
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 今回の今月の顔は、ハンカチーフのリーディングカンパニー、ブルーミング中西の中西一晃社長です。日本橋人形町に店を構えて120年余、老舗の4代目社長を30代の若さで継ぎ、エネルギッシュにその手腕を発揮されています。企業体質の革新と同時に、ハンカチーフという一枚の布を通し「豊かな生活文化の創造」を実践してこられた中西社長に、今後の新しい展望、地元人形町の昨今などを伺いました。

創業は明治12(1879)年と伺っていますが、この人形町でお店をはじめた経緯などお聞かせください。
 震災と戦禍であまり資料が残っていないのですが、先代の父から聞いた話では、江戸時代に地方から出てきて繊維問屋につとめていた初代中西儀兵衛が、踊りの師匠だった妻の知り合いである小船町の両替屋(富士銀行の創始者、安田善次郎さん)から資金を融通してもらい、独立して日本橋葺屋町(現在の人形町)に店を構えたのがはじまりです。当初は絹織物の輸入商として、シルクハットや燕尾服、婦人小物のハンカチーフ、手袋、洋傘など西欧のハイカラ商品を扱っていたようです。文明開化の華やかなりし、明治19年頃にはハンカチーフ専業となり、以来120年余この地で営んで参りました。
 
子供の頃の人形町の印象はいかがでしたか。
 小学校高学年のころ(昭和28年)に、現在の本社ビルが建ち、住まいは別でしたので見に来た記憶があります。当時この界隈は2階建ての長屋がほとんどで、住まいと仕事場が一緒の商店が多く、初めて建ったビルディングがとても珍しかったですね。お中元お歳暮の時期には、新築のビルの上階と間借りしていた向かいの倉庫の2階で社員が寝泊りし、徹夜でデパートへの納品準備をしており、まだまだ家族的な雰囲気でした。7、8歳頃から、家業の手伝いと言えばよく洗濯をさせられましたね。中国からスワトウのハンカチが入荷すると、下書きの鉛筆のあとを落とすために、自宅にあった進駐軍から払い下げてもらった中古の洗濯機で洗い、会社に届けたこともありました。
 
120年余の歴史のある会社ということですが、代々受け継がれている信条、社訓というようなものがおありでしょうか。
 株式会社設立が昭和7年ですが、昭和の半ばごろまではまだ規模的にも商店、家業のイメージが強く残っていました。この地域には花柳界もあり、商店の主は"統治すれどもタッチせず"という旦那業の感覚があるのですが、先代の父からは「けして旦那にはならずに、リーダーとして自らしっかり実践していけ」と言われましたね。内部留保を高め、会社自体の体質を骨太にし、堅実な経営を図る。老舗や暖簾とかに頼っていては、新しい厳しい時代に生き残れない、という諌めの言葉だったと思います。それを常に心してやってきました。
 
大学を卒業され銀行勤務を経て、30代の若さで4代目社長を継がれましたが、とくに力を注がれたことはどのようなことでしょうか。
 昭和60年にCIを導入し、社名をブルーミング中西に変更しました。中西儀兵衛商店では、いかにも古めかしいイメージが拭えませんし、繊維業界は体質的にも近代化が出遅れていました。ハンカチーフのモチーフはスイスの高山植物をデザインしたものが多く、そこから花々が咲き誇る「開花」の意味をこめてブルーミング中西というネーミングにしました。以前は、ハンカチーフは白無地がメインでしたが、ブランド、色、柄を取り入れて、ファッション化が急速に進みました。もともとハンカチーフは西欧から入ってきたものですが、日本の気候風土に根づき、実用品として、また気持ちを伝えるアイテムとして、独特の文化に育ってきました。手工芸品としてのハンカチーフを、これからも守り育てて行きたいと思っています。
 新しい展開としては、「IN THE BAG」というテーマで、女性のBagの中に必要なユニークな商品開発を手がけています。ファッション性のある扇子やポーチなどで、最近のヒットは口紅ケースでしょうか。さらに、ホームアクセサリー部門、テーブルクロスやナプキン、ダイニング周りのリネン商品も充実させて行きたいですね。
 まだ具体化はしていないのですが、先代から集めた世界各国のハンカチーフのコレクションが1万点以上にのぼっていますので、いずれはハンカチーフミュージアムを創り、どなたでも訪れていただけるよう常時展示したいと思っています。
 
お忙しいお仕事の中、今年4月には久松警察防犯協会の会長を引き受けられて、地域の安全にも尽力されていますが、地域に対するお気持ちや具体的な活動をお聞かせください。
 1990年に完成した西葛西の物流センターに移った社員が「出てみて初めて分かったのだが、人形町って良い町ですね」とよく言っています。やはり歴史のある古い町の良さ、町会がしっかりしていて、綺麗で安全、そしてみんなが町を愛しているという、下町の雰囲気が魅力なのでしょう。ただ、この町の安全が、近年外国人犯罪の増加やワンルームマンション化などで著しく脅かされてきているのも現実です。防犯協会の仕事は、警察署と地域住民が協力して、きめの細かい対策をたてながら、安全で住みやすい町にするための啓発活動をしていこうとするものです。社員が安心して仕事をするうえで、やはり町自体の安全はおろそかにできないことだと思います。幸いこの界隈は個人も法人も協力度の高い地域ですので、地道な活動を続けることがよい結果を生むと確信し、努力していきます。
 
これまでの人生の中で、とくに印象に残る人との出会い、出来事がございましたらお話ください。
 銀行時代の先輩で、私が退職してから頭取になられた荒木さんとの出会い、お話したことが強く印象に残っています。大企業の中にいながら、外部との交際範囲が非常に広く、気さくな方で、若かりしころの我々世代の仲間から大変尊敬されていた方でした。
 ある時、「大きな企業の中でトップに上りつめられた秘訣は何でしょうか」と伺ったら、「逃げないこと、それだけですよ」と、さらりとおっしゃった。
 口で言うのは簡単なことですが、なかなか出来ないことでもあります。この言葉がとても印象に残り、私も会社を背負っている責任上"逃げない"で頑張ろうとやってきました。
 
最後になりましたが、若い人たちへのアドバイスやメッセージがありましたら、一言お願いいたします。
 時代のスピードが速いこともありますが、現代の若者たちの人間関係の対象が同世代型に偏ってきているのではといささか危惧しています。同世代だけの付き合いは、分かりやすく楽な反面、排他的になりやすい。世代の異なる上の人、下の人といった縦割りの人々を大事にし、積極的に人間関係をつくって行って欲しいですね。年輩の人たちの知恵、若い人たちのエネルギー、いろいろな人が周りにいて、そこから自分にないものを吸収していくことで、小さなひとりの人間が、より大きくなれるのではないかと思います。

※記事の組織名や肩書は掲載当時のものです。  
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