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今月の顔-2005.2 バックナンバーはこちら
株式会社ビューティトップヤマノ 代表取締役副社長 山野総合美容研究所 所長 山野 壽子
今回の「今月の顔」は、㈱ビューティトップヤマノ副社長で美容家の山野壽子さんです。先代・山野愛子さんが美容室を開業して80年余「美道の追究」を継承しつつ、時代と共に変化するニーズをいち早く捉え「美」のプロデューサーとして、内面的な癒しや健康を提供する新しいサロン作りに力を注がれています。また、ご自身の経験を踏まえ、女性のための社会基盤整備にもご尽力されています。お仕事、プライベートや銀座の街等についてお話を伺いました。 インタビュー映像がご覧いただけます。 Windows Media Player ソフトのダウンロード Windows Media Player BB Windows Media Player 56K Real Player ソフトのダウンロード Real Player BB Real Player 56K 【座右の銘】初心忘るべからず
略歴
昭和21(1946)年5月 生まれ
昭和39年   「準ミスインターナショナル」に選ばれる
昭和44年    美容家・故山野愛子の六男山野博敏 (現・㈱ビューティトップヤマノ代表取締役社長)と結婚
昭和58年   ㈱ビューティトップヤマノ設立、副社長就任
昭和61年    山野総合美容研究所 設立 同所所長に就任
昭和62年   1988年度ミスインターナショナル・ミスワールド国内地区大会審査員就任
平成 6(1994)年 大関若の花(元横綱若乃花)・栗尾美恵子さん挙式支度担当
平成  7年   横綱貴乃花・河野景子さん挙式支度担当
平成 9年   中国上海大学「アジア文化の美と女性美の融合」セミナーとショーに
出演
平成12年   モナコ公国主催のジャパン・デーでブライダルショーを披露 
インタビュー風景
(株)ビューティトップヤマノは昭和58年設立と伺っていますが、中央区銀座との関わり、経緯についてお聞かせください。 先代で創業社主山野愛子が美容室を初めたのが大正14(1925)年で、昭和13(1938)年には銀座店を開業致しました。当時、お洒落でモダンな流行の先端を行く街「銀座」への進出に強い希望を抱いていたようです。その後、美容室経営を根幹に、美容師養成学校、化粧品製造販売等、山野グループとして多角的な事業展開をしてまいりました。弊社は、昭和58(1983)年に美容室部門の一部を分社化、銀座店や新宿店等、路面店7店舗を引き継ぎ、山野博敏を社長に、㈱ビューティトップヤマノとして設立され、美容室の上に本社を構えてスタートしました。最初の「山野愛子美容室」銀座店は、戦後に当地 (銀座3丁目)へ移り、昭和41年に現在のビルに建て替えられました。弊社は、山野愛子の提唱した「美道の五大原則」を基本に、トータルビューティの美容室から、リラクゼーション機能を併せ持った「DAY SPA & BEAUTY」サロンに発展し、国内外57店舗を統括するに至っています。さらに創立20周年(平成15年)を機に、健康美を重視した「Beauty Wellness」を新たなコンセプトとして事業展開しております。

ご自身の中央区との関わりはいつ頃からでしょうか。当時の界隈の印象はいかがでしたか。 私は京都の生まれで、昭和39(1964)年に準ミスインターナショナルに選ばれました。その後、結婚して東京に来ましたが、3人の息子が小学校に入る頃までは、新宿区大久保の自宅で故山野愛子(義母)の助手的な仕事をし、ほんの時折、銀座を訪れる程度でした。頻繁に通うようになったのは、会社設立後の昭和58(1983)年以降になります。20年前の印象は、落ち着いた大人の街でありながら、少々地味な感じを受けましたね。その後、バブル期に入り、なんとなくざわついた雰囲気もありましたが、最近はまた落ち着きを取り戻したように思います。ここ数年は、表通りにブランドショップが次々と出店し、お洒落な若い人たちが増え、当サロンのお客様も20代、30代の方たちが多くいらっしゃるようになりました。華やかな中にしっとりとした落ち着きと、洗練された雰囲気があり、とても素敵な街になっているのではないでしょうか。
副社長になられ、とくに力を注がれてきたお仕事についてお話ください。 私どもは設立以来、先代の提唱した「美道の五大原則」という理念に基づき、確かな知識と経験、高い技術によってトータルな美しさを提供するサロン経営を目指して参りました。昭和61(1986)年には山野総合美容研究所を設立し、ヘアやメイクの新しい方向性を毎年打ち出し、社員対象のサマーセミナーを開催する等、どのサロンをご利用されても同じレベルの技術が受けられるように、人材教育にも力を注いで参りました。また「DAY SPA & BEAUTY」と名付け、美容室が単にヘア、メイク、装いを整えるだけの場所ではなく、癒し(リラクゼーション)の場所でもあることを提唱し、アロマやエステティックを充実させ、頭の先からつま先まで美しく精神的な充足感を満たすサービスが提供できるサロン作りを展開しています。さらに、平成15年からは新たな業態展開として「Beauty Wellness(ビューティウェルネス=美しく健康で生き生きとした生活を送るための美容)」を推進しております。

Beauty Wellness(ビューティウェルネス)とは具体的にどのようなことでしょうか?  「笑い」が人間の免疫力を高めるという研究をされている筑波大学の教授から「美容」にも「笑い」と同様の効果が期待できるのではないかと伺いました。確かに“美しくなった”と言う気持ちが、その人をより元気に、美しく生き生きとさせてくれます。美容に携わる者として、誰でもが若々しく健康で、自分らしい人生(すなわちWellnessな人生)を送る為に、何かもっとお手伝いが出来るのではないか、と考えました。もちろんそれには美容師と言う技術的な資格のほかに、より多くの知識が必要となります。そこで一昨年から、医療以前の予防医学の知識や精神的なカウンセリングの研修などを積み重ね、ビューティウェルネスプラナーという人材を社内に養成致しました。現在までに88名のビューティウェルネスプラナーが誕生し、彼らが活動する美容室を「Beauty Wellness」サロンとして、今後さらに発展させていきたいと思っています。またビューティウェルネスプラナーのイメージリーダーを、宝塚の花組スターの蘭寿とむさんにお願いし、プラナーの養成を継続的に行う「ビューティウェルネスアカデミー」を開校しました。こちらの活動に関する情報はHPでご覧ください。
http://www.beautytop-yamano.com/
インタビュー風景
インタビュー風景

代々受け継がれている社訓、またお仕事をされる上での信条はどのようなことでしょうか。 先代の提唱しました「美道の五大原則」をまず第一に大切にしております。「髪・顔・装い・精神美・健康美」の五つの要素が、1つたりとも欠けることなくトータルにバランス良く発揮されてこそ、本当の“美しさ”、人間としての輝きが生まれるのだということです。また、日常的には、社員の心得を明記した山野心訓と言うものがあり、感謝の気持ち、素直で謙虚な態度などを忘れないよう心がけております。

中央区銀座を仕事場とされ、良いと思われること、また、お気に入りの場所などがございますか。 中央区は交通の利便性もさることながら、商業と文化が非常に良く融合している地域だと思います。銀座、日本橋、築地等それぞれの地域に特徴があり、ショッピングにしても老舗、百貨店、新しいブランドショップがあり、非常にバラエティーに富んでいます。また、歌舞伎座、新橋演舞場、明治座等エンターテイメントの施設も充実し、歌舞伎ファンの私としてはとても嬉しいですね。
さらに銀座では、お芝居を観るついでに、買い物、喫茶や食事をすることが出来て、一所で事が足りるという「ゆとりある街」と言えるのではないでしょうか。お洒落で、センスが良いことは言うまでもありません。

中央区銀座を仕事場とされ、良いと思われること、また、お気に入りの場所などがございますか。 男女共同参画社会の推進が叫ばれ、女性の社会進出が著しい昨今ですが、社会の受け入れ基盤や、サポートはまだまだ十分とは言えないと思います。先代は“職業婦人”のさきがけ的な存在で、常々「女性も一生できる仕事、社会との関わりを持って生きるべきだ」という考えの人でした。私にも結婚前に「美容師の資格を取りなさい」と進めてくれるほど、理解のある姑でした。結婚し子育ての期間には、仕事を一時期休んでおりましたが、その後社会復帰しました。結婚することでキャリアが終わってしまうのではなく、仕事と家庭の両立は十分可能だと思います。男女共同参画といっても、全く同じ条件で同じ仕事をするという画一的なことではなく、男性、女性それぞれに備わった役割もあると思います。ですから、女性が肩肘を張らずに仕事のできる社会環境の整備に、少しでもお役に立てればと活動のお手伝いをさせていただいております。

これまでの人生で、心に残る出来事、人との出会いがありましたらお話ください。 最近のことですが、ライフカウンセラーの田原米子氏の講演を聴き、大変な感銘を受けました。田原さんは、十代で母親を亡くされ、不良少女として様々な悪いことに手を染め、高校生の時に電車に飛び込んで自殺未遂をし、命は取りとめたものの両足、片腕を失い、残った片手も3本の指だけという悲惨な状況になってしまわれました。さらに、その障害に耐えられず再度自殺を図る等、心を閉ざし世を拗ねた暮らしを数年間続けられました。そんな彼女の心を開いたのは「人間は生かされている」という聖書の教えであり、また、後に結婚された神父のご主人の「あるがままに受け入れる」姿勢だったそうです。その後、結婚し子供を産み育て「やろうと思えば、障害があっても何でもできる」という生き方をされてきました。過去から現在までを赤裸々に淡々と語られ、その前向きな生き方には心から圧倒され、たくさんの事を教えて戴きました。
最後に、次世代を担う若者たちにひと言メッセージを頂けますか。 現代の若い方たちは、情報があまりに多く、知識として頭で物事を捉えてしまうせいでしょうか、“さめている”感じが致します。ともかく「夢」を、それも大きな夢を持って欲しいと思います。先代が「何事も願えばかなうのよ!」という言葉をよく口にしておりました。私自身も、夢、目標を持ち、それに向かって精一杯努力すれば、必ず叶うものだと信じて、前に向かって歩んできました。それぞれが大きな素晴らしい夢を描き、その夢を実現させて下さい。
インタビュー風景

※記事の組織名や肩書は掲載当時のものです。  
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