私は西川甚五郎としては14代目、西川産業株式会社社長としては3代目になります。永禄9(1566)年、初代西川仁右衛門が19歳の時に、近江国蒲生郡(現在の滋賀県近江八幡市)で商売を始めました。当初は、近江から全国各地に麻布、呉服、綿織物、蚊帳(かや)などを運び、行商をしていました。慶長5(1600)年関が原の戦いで徳川方の物資調達を請け負ったことから、江戸開府後の元和元(1615)年、日本橋のたもと(現在、株式会社西川のある日本橋一丁目)に
店(つまみだな)を構えたのが江戸進出の第一歩です。江戸時代には主に蚊帳を扱っていましたが、後に弓の販売も手がけるようになりました。寛政元(1789)年に7代目利助が年2回の決算後、純利益の3分の1を従業員に分配する(現在のボーナス・退職金に相当)、という画期的な「三ッ割銀制度」を導入し、寛政11(1799)年には資金の運用方法や積み立ての目的等を制度化し、「定法書」として明文化しました。このような偉業から、7代目利助は中興の粗と言われています。
江戸から明治に移行し、11代目甚五郎の時代(明治20年頃)に、季節商品の蚊帳に変わる商品として布団の製造販売を始めました。それまで布団は自家で作るものでしたので、商品化は画期的なことだったと思います。これが、現在に至る弊社の主要商品となっています。また、縮緬(ちりめん)、銘仙(めいせん)、モスリンなどの生地の小売も、明治から昭和にかけて行っていました。
第2次世界大戦後の昭和22(1947)年、西川甚五郎商店は改組し、製造卸業の西川産業株式会社、株式会社京都西川、西川リビング株式会社(旧・株式会社大阪西川)、小売販売業の株式会社西川などのグループ企業に分かれました。西川産業株式会社は製造卸の中核として、昭和35(1960)年に本社を現在の日本橋富沢町に移転し、「ホームファッション」をコンセプトに、寝具を始めとしたインテリア用品全般、健康・介護用品を手がけ、快適なインドアスペースのプロデュースを目標に発展してきました。