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伝統的食文化の行方を、築地魚河岸の現場からお伝えします 魚河岸発!
今月のテーマ:「江戸前」を考える
 うまいねえ、シャコ。何か二ヶ月越しに食ったからとくにうめえや。なあ、お兄ちゃん次はアナゴね。
「はあい」。
ま、いつ出来上がってくるかわからないんですけどね。シャコにアナゴと。まさに江戸前の代表格ですが、さて今月のお題は「江戸前」。皆さんは江戸前という言葉からどんなものを連想しますか。
「お兄ちゃん、江戸前といったら何だと思う?」
「はあ……寿司屋ですかあ?」
「そう、寿司屋ね。江戸前といったら何たって寿司だよ。でもそれは最近の話。昔は江戸前といったらウナギのこと。鰻屋の看板に書かれていた言葉なんだ」
「はあ、そおですかあ」

“江戸前寿司はなかった”

 江戸前といえば「寿司」と連想されるくらいに、いかにも新鮮で威勢の良い響きがあります。おいしそうですよね。でも、江戸前寿司という言い回しは、もともとありはしないものなんです。
まず、江戸前というのはどんなものだと思いますか。よく、江戸の前海、つまり江戸湊で捕れたものを江戸前と言う、と思うでしょ。でもどうもそうじゃないらしいんですね。実は江戸時代には江戸前なんてことはあまり言いませんでした。江戸名物とか江戸土産なんてふうにはいいましたがね。言葉としてはありましたよ。江戸前とは城の前、東側から大川の西側の範囲をいいまして、海も含まれましたが、一般的には河川のことなんです。隅田川とか神田川とか、そうしたところが江戸前。そして、そんな場所で捕れたものが唯一江戸前の食べ物ということになります。

“江戸前とはウナギのこと”

 では、そこで何が捕れたのかというと、実はこれ鰻のことなんですね。鰻というものは各地で捕れますが、どうしても地のものでなければいけない。遠くから運んだものは「旅鰻」といって嫌われたのです。だから、ここで捕れたものを食わせるぞ、という売り文句として「江戸前」という言葉を冠したのです。つまり江戸前=鰻だったんですね。

深川鰻 薬研堀鰻 池之端鰻

などが江戸前鰻の名産で、ことに深川のものは中くらいの、身が固いけれど鰻食いにはたまらないものだなどといわれました。
田舎から出てきた者が、
「江戸前とやらの幟のあるところへ、こりゃあにを売るとこだと、わしゃよくよく覗いて見たら、“おなぎ”のことを江戸前といふのかへ・・・」
「そふさ、うなぎは江戸の前で捕ったのがいいから、それで江戸前といひやす」

“ ウナギからスシへとバトンタッチ ”

 江戸の人には江戸前というのは鰻のことだと了解されていたのですが、それがいつの頃から寿司の代名詞となったかというと、これが明治時代中ごろになってからのことのようです。
歌川広重の晩年の代表作『名所江戸百景』のなかに「深川州崎十万坪」という荒涼たる風景を飛翔する鷲の視点から雪景色を眺めた秀逸な画があります。そこは深川のおとなり、今の千石あたり。江戸時代にゴミでつくった埋立地で、現代いうところのウォーターフロントです。
明治二年、服部倉次郎という人がこの地に日本初の「ウナギ養殖場」をつくります。ちょうど付近には冨岡八幡があることで大変な繁昌をしまして、旬はずれの土用の需要にも応えて、江戸前鰻の流通を支える存在となります。ところが、この地は地盤が低いことから、ちょっとした雨で池が氾濫し鰻が逃げ出してしまう。夏には水温が上がって渇水や病気の心配に煩わされる。そんなことで、せっかく成功した初の養殖場も明治二十年には閉鎖し、浜名湖に移転してしまいます。
これをきっかけに江戸前鰻というものが事実上姿を消すこととなり、鰻屋の看板からも「江戸前」という言葉が消えていきます。そのとき、これにスライドするように、寿司屋が「江戸前」という言葉を使うようになりました。一説には「地曳ずし」という店がキャッチコピー的に使ったのが初めだとされています。

“やっぱり「江戸前寿司」”

  「江戸前寿司」――そういうものが本当はなかったということを申し上げました。さらにいえば、江戸前の海からどれほどの寿司ネタが獲れるかを考えてもちょっと淋しい気がします。でも、「江戸前寿司」という言葉にはキリッとして良い響きがありますよね。いかにも新鮮で美味しそう。そしてなによりも江戸前ここにあり、というような力強さを感じませんか。それはきっと上方文化からの「下り物」に対する江戸よりの返礼という意味も多分に含まれているような気がします。
いずれにしても「江戸前寿司」とあえて口にするとき、その成立事情の怪しさはとりあえず置いておいて、魚が好きなんだ、旨い魚を食いたいんだ、よけいなもんは要らねえよ! というような気概に満ちてくるから不思議です。

“失地回復としての「江戸前」”

  昭和三十年代から四十年代にかけて、東京湾沿岸の漁師たちは国の方針により順次漁業を放棄させられました。かつては江戸の前海は魚貝類の潤沢な生産地であり、世界的にみても大変に魅力ある内海でした。確かに世界最大の都市東京と臨海工業地帯を持つこの地域がいつまでも自然のままに残されることは難しかったでしょう。しかし、あまりといえばあまりな変貌ではありませんか。いったい貴重な水産資源と引き換えにするほど工業地帯がそんなに重要だったんでしょうか。失くしてしまったものが、ここにあったなら、どれほど人びとを幸せにしたことだろう、などと軽く憤慨しつつ、今日も私は「のんびり寿司」でにぎりをほうばるわけです。
今、江戸前といってもアナゴにキスにシャコに・・・もう数えるほどです。外国産にも頼らなければなりません。でも、本来ならこれらは近海物で食べられるはずなんだ。そんな思いを抱きつつ食べます。そして、いつか再び文字通りの江戸前の魚が復活することすら思い描いてしまいます。「江戸前寿司」を失われた魚食文化復権の旗印に見立ててもいいんじゃないでしょうか。


 まあ、そんなわけで、話の流れで来月のお題はウナギにしましょう。
「はあい、アナゴ……」
「おっ、今月は早いねえ!」



生田與克―いくたよしかつ
1962年東京月島に生れる。
築地マグロ仲卸「鈴与」の三代目として築地市場で水産物を扱うなかで自然の恵みの尊さ、日本特有の魚食文化の奥深さを学ぶ。
現在、講演会などを通じて魚食の普及に努めるほか、ホームページ「魚河岸野郎」を開設。魚河岸の歴史と食文化を伝える“語り部”として精力的に活動している。

「築地の魚河岸野郎」
http://www.uogashiyarou.co.jp/


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2005年5月掲載記事  
※内容は、掲載当時のものとなります  

 

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