山田 今回の巻頭インタビューは「日本橋美人新聞」と共に発行の「日本橋都市観光マップ」創刊15周年を記念して、本年で創業300年を迎えられた、東京では最も古い刷毛・ブラシの専門店、株式会社江戸屋十二代目・濱田捷利社長にお話を伺います。
まずは御社の沿革と事業についてお聞かせください。
濱田 弊社の初代は七代将軍・家継公の時世に刷毛師の修行で京都へ赴いたのち、江戸で「刷毛師利兵衛」を名乗り商売を始めました。大城屋という商人の口利きで、江戸城で使用する経師刷毛や白粉刷毛を手掛けていたようです。八代将軍・吉宗公の時代、1718(享保3)年に将軍家から「江戸屋」の屋号を賜り、日本橋大伝馬町に「江戸刷毛」の専門店として店を構えたのを創業年にしています。
幕末期の七代目は幕府の要請を受け、代々が培ってきた技法を活用し、「御台場」に設置された大砲の砲身の煤を掃除するブラシを開発したと聞いております。これがきっかけになり、明治時代には生活様式の西欧化に伴い必需品となった日常用のブラシに加えて、軍艦のデッキブラシなど業務のニーズが拡大しました。九代目に実子がいなかったので、親戚筋にあたる私の祖父が十代目になりましたが、父が夭折したため祖母・花子が十一代目として、戦後の荒廃を乗り越え店を守り立ててまいりました。
山田 濱田さんは当地で産声を上げ、36歳の若さで十二代目を継がれたと伺っております。
濱田 私は1943(昭和18)年に生まれたのちは、疎開先であった埼玉県与野市で生活をしながら日本橋に通っていました。日本大学商学部商業学科を卒業後は直ぐに弊社に入り、以降はここが生活の場となっています。私自身は刷毛やブラシの製造の過程を傍らで見ながら成長しましたので、家業の継承については何も迷うことなく受け入れておりました。先代のもとで礼儀や経営などの厳しい指導を受け、1979(昭和54)年に暖簾を引き継ぎ現在に至っています。
山田 「刷毛は道具だが魅力あるものを創る、縁の下の力持ち」と、 常におっしゃっていますね。刷毛そのものは物を塗る必要が生じたときに、自然発生的に出来たと考えられています。日本での刷毛の語源は定かではありませんが、文献上は平安時代の辞書「和妙類聚抄」に漆を塗るのに用いられたと記録され、同時代の歴史物語「栄花物語」にも白粉刷毛の名が出てきます。1732(享保17)年発行の商品学書「万金産業袋」の中で、表具用糊刷毛を「江戸刷毛」という名称で紹介されたことが、江戸刷毛の名の由来になっているようですね。
濱田 現在、東京都が伝統工芸品として江戸刷毛に認定しているのは経師刷毛、染色刷毛、人形刷毛、漆刷毛、木版刷毛、白粉刷毛、塗装刷毛の七種類です。弊社では代々受け継がれた技法や素材にこだわり、多種多様な業務用から日用品の刷毛とブラシを製造・販売し、取扱商品は約3000種類あります。
近年はエコやオーガニックへの意識の高まりやインターネット通販の普及を背景に、お客様の幅も広がってきました。天然の素材にこだわった弊社の品物は、職方(職人)が一本一本に誠意を込めて丁寧に作っています。この確かな技術に支えられ、高品質な製品が仕上がっていくのです。減少傾向にある職方の後継者を、一人でも多く育成することも私の役割の一つだと実感しています。
また訪日外国人が急増する中で、日々、各国のお客様のご来店が多くなってきました。海外の方が江戸の伝統や文化に触れ、理解を深め親しんでいただける機会を作るのは大切です。貴団体が継続しておられる「EDO ART EXPO」のような事業には、微力ながらもお力添えできればと思っています。
山田 本年の「EDO ART EXPO/東京都の児童・生徒による〝 江戸 〟書道展」は、9月21日~10月9日の開催が決まっております。「EDO ART EXPO」では中央区、千代田区、港区、墨田区の名店、企業、ホテルや文化・観光施設の約60カ所がパビリオン(会場)となり「江戸の美意識」をテーマに伝統や文化、芸術に関わる展示を行います。同時に催す「〝 江戸 〟書道展」は「江戸から連想する言葉」と「世界の国々を漢字で書く」を題材に公募し、昨年は2000点以上の応募作品の中から62社のスポンサー企業が授与して下さった323点の企業賞を展覧いたしました。他の書道展と異なるのは文字を書くことで美を表現する「書道」に、子供たちなりの発想を評価に加えた点でしょうか。御社にも浮世絵の展示会場などで、ご協力をいただくことになっています。
濱田 今の子供たちが筆を持つ機会が少ないのは、残念でなりません。「毛筆で書く」という日本古来からの文化を守る活動を続けていらっしゃるのは、大変に素晴らしいと感心しています。私は「日本橋恵比寿講べったら市」保存会の会長も務めているので、市の立つ10月19、20日に毎年、店頭前に露店を出し、お祭り価格でセールを行い盛り上げています。ぜひ、皆さまもお越しください。筆は人気があり、出すとすぐに売り切りになりますので、お早めにどうぞ(笑)。
山田 関東大震災後に再建された御社の建物は、国の登録有形文化財の指定を受けた石造風の壁が趣きのある看板建築です。そちらもご覧になっていただきたいですね。もちろん店舗は日本橋のお気に入りのスポットでしょうが、他にもございますか(笑)。
濱田 子どもの頃は、祖父母のもとへ行く度に三越の屋上遊園地で遊ばせてもらいました。幼心に嬉しくてたまらなかった、懐かしくも楽しい想い出です。今もデパートは、一人でも出掛けてしまう憩いの場です。
山田 私たちは江戸(東京)の地域ブランド「日本橋美人」のネーミングでも、多岐にわたるプロジェクトを展開しております。御社からも「日本橋美人携帯用ヘアーブラシ」が発売されます。
「日本橋美人」とは、どのような女性だと思われますか。
濱田 私は日本橋は身だしなみの整った、品位のある方が多くいらっしゃる大人の街だと感じてきました。そんな日本橋に溶け込んで違和感のない、立ち居振る舞いの美しい女性が「日本橋美人」であると思い做しております。
■撮影:小澤正朗 ■撮影協力:ロイヤルパークホテル
■ヘアアレンジ・着付:林さやか ■衣裳協力:竺仙