第10回 EDO ART EXPO公式ガイドブックより、2015年にノーベル生理学・医学賞を受賞された大村智氏と、EDO ART EXPO総合プロデューサー山田晃子氏の対談を掲載しています。

山田 「EDO ART EXPO」の第10回開催を記念して、天然物有機化学者の大村智先生とお話をさせていただきます。先生が土壌から発見した「放線菌」により生まれた抗寄生虫薬「イべルメクチン」は、熱帯地方に蔓延している難病「オンコセルカ症(河川盲目症)」およびリンパ系フィラリア症の特効薬となり多くの人々を救済しました。四半世紀におけるこの最大の発見は人類への貢献が計り知れないと言われ、国際的な評価を得て2015(平成27)年に日本で3人目のノーベル生理学・医学賞を受賞されました。また、50年以上の研究生活で約500種類の新規化合物を発見し、26種類が医薬、動物薬、農薬、研究用試薬として実用化されています。
先生は化学の研究に成果を挙げる一方で文化や芸術についても大変に造詣が深く、絵の蒐集や美術館の創設などの文化事業へも貢献していらっしゃいます。偉大な功績を生み出した、ご経歴についてお聞かせください。

大村 私は山梨県韮崎市の農家の長男に生まれ、幼い頃から家業を手伝っておりました。振り返ってみると、決められた時間内に為すべきを為す習慣や時間の使い方など化学者にとっての素地は、幼少期の日常生活の中で身に付いた気がします。両親は勉強を強いるというよりは、私の望む事柄への応援やその環境づくりに協力を惜しまなかったお陰で、伸び伸びと育つことができました。音楽教師で美術好きの母は私の勉強部屋に複製画を飾ってくれていて、人生で最初に出会った絵画はミレーの「冬、凍えるキューピッド」でした。
あえて言えば理数系が得意だったので山梨大学自然科学科に入学し、卒業後は都立工業高校の夜間部の教員に採用されました。昼間に働き夜は真摯に学ぶ生徒たちの姿に感銘を受けて学び直す決意をし、教鞭を執りながら東京教育大学(現:筑波大学)の聴講生となりました。その後、東京理科大学大学院理学研究科に進み修士課程の修了時には、研究者になりたい気持ちが高まっていたのです。助手で赴任した山梨大学工学部発酵生産学科で微生物研究に出会い、1965(昭和40)年の北里研究所での勤務を契機に、本当の意味での長く続く研究生活がはじまります。そして私の約50年に及ぶ美術品のコレクションの一点目は、30代前半に北里大学の研究室に出入りする画商から入手した野田九浦の掛け軸「芭蕉」です。この絵は日々の研究で疲労困憊した私の心を静め、深い安らぎを与えてくれました。いかなる薬にも増して「芸術が持つ癒しの力」を身に染みて感じたのがきっかけで、研究生活とともにコレクターとしての道も歩みだしたのです。

山田 1989(昭和64)年に創設した北里研究所メディカルセンター病院(現:北里大学メディカルセンター)は「絵のある病院」で広く知られています。今で言う「ヒーリングアート(癒しの芸術)」の先駆けですが、院内に絵を飾ったりエントランスホールでコンサートを開くなどを企画されたのも先生と伺っております。

大村 私は科学技術が急速に進歩した一方で、心の問題が取り残されている現状に懸念を抱いています。まさに21世紀は「心の時代」であり、「病院は病を治療するのと同じくらい心を癒す機能が重要で、芸術が来院者に与えるプラスの効果は計り知れない」と認識していました。開設にあたり院内にアートを展開し、なおかつ地域の文化を担う場所にするという新たな発案をしました。私は美術に囲まれた日常を過ごす中で「芸術は人間を清め魂を救い、生きる力を与えてくれる」と実感していたからです。


山田 先生は私の母校・女子美術大学の理事長を永くお務めいただき、現在は名誉理事長でいらっしゃいます。2000(平成12)年の創立100周年記念事業の一環では、先生のご提案で敷地内に女子美術大学美術館が誕生しました。重要文化財級の小袖、振袖などの資料を含む約1万点の染織類が収蔵され、世界有数のエジプトの古代布「コプト裂」のコレクションもあります。この貴重な文化遺産の一部は、弊団体が主催した2011(平成23)年の「第4回 日本橋美人博覧会(現:EDO ART EXPO)」でも公開が実現いたしました。
2007(平成19)年に私費で故郷に「韮崎大村美術館」を開館し、翌年には施設と全ての美術品を市に寄贈され、我が国では例がない数多くの女流作家の作品を常設展示しています。



大村 私は芸術品を購入する折は、男女問わず自分が好きと思うと同時に作家の人柄に好感を持った作品を蒐集してきました。女子美術大学の理事長をしていた頃に、日本では女流作家の個人名を冠した美術館はあるが、女性の絵を集中的に集め常設している美術館がないと知りました。日本美術史に名を馳せた女性の画家や芸術家の大部分を輩出したのが本校であると気付き、彼女たちを顕彰したい願いも込めて蒐集したのが大村美術館の主体の所蔵品です。女流作家の絵は美しい色彩や幻想的な世界観、あるいは活気に溢れた作風や繊細な美意識など、女性ならではの感性が溢れています。
私は自身のかけがえのないコレクションであったとしても、優れた芸術は人類全ての共有財産であり、公にして多くの人と共感したいと考えてきました。機会があれば是非、皆さまにもお越しいただきたいですね。

山田 以前、先生がお持ちの蒐集作品をまとめて展覧会を催した時に、ギャラリートークを拝聴しました。印象深かったのは先生が「科学」と「芸術」には共通項があるとお話されていたことです。画家がモデルやモチーフを観察し描写していくプロセスは、仮説と実証を積み重ねて真理を解き明かす化学者の研究と似た側面があるのですね。

大村 芸術家たちが自分の創造性を発揮して、独自性を表現し作品を完成していく過程は科学の世界と同様です。他人の描いた絵に似ている作品に価値が無いように、化学者が人と同じ研究をするのでは失格だと言わざるを得ません。研究と美術が共に評価されるのは「豊かな感性から生まれるオリジナリティー」です。数学者の岡潔博士も「数学には情緒が必要」と語っていらっしゃいますが、想像力や独創性の豊かな人間を育むのに美術教育はとても意義深いのです。
貴団体が主催する「EDO ART EXPO」や「東京都の児童・生徒による“江戸”書道展」は、日本独自の文化を守り継承、発展させていく一助になっていると思います。芸術をより身近に感じ今後の心の糧にできる良い事業ですから、おおいに頑張って活躍してほしいですね。

山田 これらのプロジェクトは、街を巡りながら江戸から続く伝統や文化、芸術の魅力に親しんでいただく機会をご提供したいとの思いで開催してきました。都心4区の名店、企業、ホテル、神社仏閣や文化・観光施設などが協力し、約60カ所の既存の建物がパビリオン(会場)となります。EDO ART EXPOでは浮世絵を中心に展示を展開し、記念すべき第10回のテーマは「江戸を彩った絵師たち」です。
19世紀の中頃から、浮世絵などの日本美術が西洋の芸術家たちに多大なインスピレーションを与えました。先生の著書「人生に美を添えて」の中にはクロード・モネのアトリエを訪れた際に、海を越えた広重や歌麿、北斎の浮世絵が壁いっぱいに掛かっているのをご覧になったと記されています。

大村 フランスの画家・モネが浮世絵から受けた影響を実際に目の当たりにし、日本文化の強いインパクトを実感し誇らしい気持ちになりました。私のコレクションに浮世絵が加わったのは、1971(昭和46)年にウエスレーヤン大学の客員研究教授となり、1年5ヶ月間にわたる渡米中に知り合った古美術商とのご縁からです。浮世絵に書かれている字を訳してあげているうちに自分も欲しくなり、広重の東海道五十三次や小林清親の初期の作品などをね…(笑)。


山田 我々は先人からこの地域に受け継がれてきた「江戸のDNA」を大切にし、それを継承すべくさまざまな事業に取り組んでいます。今後も独自の価値を見い出した江戸文化の魅力を、国内外に向けて発信して行けるよう努めていく所存です。先生が常々おっしゃられている大村語録の中の「人の真似をするな」「人のためになることをしなさい」という言葉が本日、改めて心に響いております。ご多用の中、貴重なお時間を頂戴し誠に有り難うございました。


大村 「芸術の分野で社会に貢献する」など、本校が輩出した女性 たちの優れた部分をお持ちの山田さんと、ご一緒できて楽しかったですよ。
私は 80 歳まで息災で研究を続けてこられたから、ノーベル賞をいただけました(笑)。今後も健康管理など留意すべき事柄はありますが、いつも心の真ん中に「美を添える」ことによって、バランスが取れ充実した時間が過ごせたと確信しています。私の経験がこの紙面をご覧の皆さまのお役に立ち、それぞれの美意識を育くみ豊かで美しい人生を送ってくださるように願っております。


■撮影:小澤正朗  ■撮影協力:ロイヤルパークホテル

■衣 裳・ヘアメイク・着付け:

衣裳らくや
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