山田 創刊10周年を記念した「日本橋美人新聞」の巻頭インタビューは、国内外において「凧を通じた親善大使」としてご活躍されていらっしゃる、凧の博物館の茂出木雅章館長にお話を伺います。まずはご経歴について、お聞かせいただけますか。
茂出木 私は父が1931(昭和6)年に洋食屋「たいめいけん」を創業した地、中央区新川で生まれ八丁堀の京華小学校(現:中央小学校)に通い、その後は慶應義塾中・高等部を経て慶大法学部に進学しました。1948(昭和23)年に日本橋に移転した店内で、早朝から深夜まで働き続ける父母の背中を見て育ち、私自身も出前や皿洗いなど店の手伝いをしていたので、家業を継承することに迷いはなく、大学卒業後には先代のもとで本格的な修業を始めました。
先代は趣味が高じて、凧が好きな人たちの親睦を目的に幅広い活動を行う「日本の凧の会」を1969(昭和44)年に発足し、現在では全国の32支部に約1000人の会員が所属しております。私はその会長職と、弊社ビルの5階に1977(昭和52)年に設立した「凧の博物館」館長を引き継ぎ就任しています。
山田 創立者の茂出木心護氏は「凧揚げの名人」として名を馳せ、世界で初めて凧専門の博物館を開館したと伺っております。凧や凧に関連する約5000点もの収蔵品のうち400~500点を常設で展示され、凧文化の伝承や魅力を広めていらっしゃいますね。私は浮世絵の解説を手掛ける仕事もしているせいか、凧というと葛飾北斎や歌川広重などが浮世絵に描いた、澄みきった大空に舞う姿を連想してしまいます。
茂出木 以前 、凧揚げは「いかのぼり」と呼ばれていましたが、江戸の中頃から「凧」と言われるようになりました。江戸文化を代表する浮世絵を凧絵にした色鮮やかな角凧(錦絵風)は、地方の伝統凧に影響を与えましたし、奴凧は高く揚がった凧が武家屋敷を見下ろすということで、江戸庶民にとても人気があったようです。また童謡「お正月」の一節「お正月には凧揚げて」とあるように、凧揚げがお正月の風物詩となったのは江戸時代からです。一方、日本各地では端午の節句の前後に凧揚げのシーズンを迎え、子どもが丈夫にたくましく育つよう願いを込めて凧を揚げる習慣があります。私は凧の会の会長として4~6月の間は全国の凧揚げ大会に出向くことが多く、訪れる先々でその風土が生んだ凧の味わい深い造形に感銘を受けています。日本に限らずアメリカ、ヨーロッパ、アジアなど世界の国々にも凧揚げの風習が伝えられていて、各々の民族性を反映しながら固有の発達を遂げた凧が生まれました。
山田 凧の博物館は当初より「EDO ART EXPO」にご協力くださっています。本年、「第9回EDO ART EXPO(2016(平成28)年9月23日~10月11日)」は、中央区、千代田区、港区、墨田区の名店、企業、ホテルや文化・観光施設など60カ所以上が会場となり、おかげさまで盛況のうちに閉幕いたしました。毎年「江戸の美意識」をテーマに伝統や文化、歴史に関わる展示を行い、本年は国内外を含め約43万4000人もの方々が、各会場を訪れてくださいました。
同時に開催している「東京都の児童・生徒による 江戸 書道展」では、2020(平成32)年の東京オリンピック・パラリンピックに向けて「世界の国々を漢字で書く」という新たな題材を追加し、40カ国以上の漢字で書かれた国名が集まりました。日本文化を国内外に発信する好機ですので、オリンピックイヤーに合わせ、訪日外国人の方々が日本の魅力に触れる機会を今後もプロデュースしていきたいと考えています。
茂出木 北京、ロンドン、リオの五輪大会では、開会式のオープニングセレモニーで凧揚げが効果的に利用されていました。紛争の続いている地域では凧の姿は見られませんので、凧は平和の象徴ともいえるでしょう。和凧を揚げたり、子どもたちの書を凧にするなど東京五輪大会の舞台に華を添え、日本の伝統や文化を次世代に繋いでいけるよう、ご一緒に知恵を絞っていきたいですね。
山田 ぜひ実現したいですね。ところで茂出木館長にとって、お気に入りの日本橋のスポットはございますでしょうか。
茂出木 なんといっても、幼少より日々の生活の中にあった名橋「日本橋」そのものです。昔と変わらぬ姿で橋が架かっていることは、ノスタルジックでもあり、精神的な支柱になっています。
また江戸から続く食文化を堪能できる名店が数多いので、日本橋界隈で、気の合う仲間と食事をするのは楽しみのひとつです(笑)。
山田 私たちは江戸(東京)の地域ブランド「日本橋美人」というネーミングでも、多岐にわたる事業を展開しています。「日本橋美人」とは、どのような女性だと思われますか。
茂出木 贔屓目かもしれませんが、地域企業にお勤めの女性から老舗の女将に至るまで、日本橋にいる方たちは、胸を張り自信を持って働いていらっしゃるように見受けられます。そのような生き生きとして輝いている女性が、日本橋美人と呼ぶにふさわしいという気がいたします。
■撮影:小澤正朗 ■撮影協力:ロイヤルパークホテル
■ヘアアレンジ・着付:林さやか ■ヘアアレンジ・着付:衣裳らくや