季刊紙「日本橋美人新聞」の巻頭インタビューより、各界の著名人と山田晃子氏の対談を掲載しています。

山田 今回の巻頭インタビューは、平成27(2015)年に創立125周年を迎えた、一般社団法人日本橋倶楽部の清水満昭理事長にお話を伺います。我が国において100年以上の由緒ある社交クラブは極めて少ないと言われていますが、創立と沿革についてお話しください。

清水 日本橋倶楽部は明治23(1890)年に、日本橋を代表する各界の名士95名が発起人になり日本橋浜町に誕生しました。当倶楽部は長い歴史を持つ社交クラブとして福沢諭吉個人の提唱で結成された銀座の交詢社と名が連ねられますが、地元の有力者の総意により親睦社交を目的に設立した点で、発祥と歩んだ歴史に違いがあります。


山田 倶楽部の会館は関東大震災や戦災で焼失した変遷を経て、昭和30(1955)年に現在の地に建設、近年の室町東地区開発計画にともない仮移転したのち、平成26(2014)年3月にコレド室町3の5階に会館が完成しました。同年5月に12代理事長にご就任され、新館でのあらたな運営をどのようにお考えでしょうか。

清水 当倶楽部が本来在るべき場所に、やっと落ち着いた感があります。100年以上前の組織が趣旨を変えずに存続してこられたのは、日本橋地域への心情や精神に符合している故だと思います。
魅力ある倶楽部にするには、多様化するニーズへ対応し会員の満足度を高めるのが大事でしょう。会員の拡大は倶楽部の活性化や財政面で不可欠ですが、何と言っても倶楽部の品位を保つのは大切なことです。入会には会員の紹介が必須ですので、日本橋地域とご縁が深く伝統ある倶楽部にふさわしい人物を、責任持ってご推薦していただくという事由に尽きます。

山田 私はクラブライフを通して先輩の皆さま方と親しく交流する場が増え、ご教示いただける機会に感謝しております。清水理事長はどのようなお考えをお持ちですか。

清水 私にとって倶楽部に浅からぬご縁を感じているのは、当初の日本橋浜町の会館(木造二階建ておよび平屋建ての日本館、その後に増改築した洋館)の施工を当時の清水組(現・清水建設)が手掛けたことにあります。
私自身は会員夫々の価値観や好みの違いが面白くあり、楽しいコミュニケーションの輪にも繋がると常々思っています。同好会などにご参加され会員間の親睦を深めたり、併設したレストランやバーでゆっくり寛がれるのも良いでしょう。会員の皆さまが楽しく充実したクラブライフを過ごしていただけるよう、微力ながらお役に立ちたいと考えています。また公益面では、様々な分野の一流講師をお招きし、会員以外の方も受講できる月に一度の「一般公開講演会」の開催や、会議室などのお貸し出しなども行っています。

山田 同様にNPO法人東京中央ネットの諸種の取組みにも、設立当初よりご支援いただいております。今年で8回目を迎える「EDO ART EXPO〔平成27年9月25日(金)~10月13日(火)〕」では、「江戸の美意識」をメインテーマに、江戸から続く伝統や文化、歴史に係る展示を中央区、千代田区、港区、墨田区の名店、企業、ホテル、神社仏閣や文化・観光施設、教育機関がパビリオン(会場)となり開催します。また美術館、博物館、大学とも連携して展覧を行います。前回は60カ所以上の会場に、国内外から約40万人もの方が各パビリオンを訪れてくださいました。同時に催す「第4回 東京都の児童・生徒による 江戸 書道展」では、協賛企業の企業名の付いた賞と賞品を入選作品に授与しています。

清水 私は清水建設が歌舞伎座のリニューアル(2013年4月)に携わる好機に恵まれたおかげで、有形無形に関わらず文化の継承については多くの方々の所望があることを改めて認識しました。今後も職業の垣根を超えた当倶楽部の会員にご協力を仰ぎながら、伝統文化の継承・発展・事業などのお手伝いをしていきたいと思います。

山田 有難うございます。
2020年の東京オリンピック・パラリンピックに向けて、子どもたちが世界各国を学ぶ機会になるように「世界の国々を漢字で書く」を書道展の新たな題材に加えました。日本独自の文化「もてなし」についての所感をお聞かせください。

清水 訪日外国人との触れ合いを重視するもてなし方が期待されていますが、それは古くから続く日本人の相手を思い遣る気持ちが根底にあってこその文化ではないでしょうか。50年前の東京オリンピックを契機に日本の国が大躍進し、人々の発想も豊かに広がった実感があります。今の子どもたちにも貴重な体験に繋がると良いですね。

山田 清水理事長にとって、思い入れのある日本橋のスポットはございますか。

清水 大学を卒業して、当時の第一銀行に入行し、最初の勤務地が現在のコレド室町2の一角にあたる古河ビル内の日本橋室町支店でした。また、清水建設では最初は大手町の現場におりましたが、すぐ近くに日本銀行の新館の現場があり、私にとって日本橋は感慨深い場所であります。日本銀行に併設された貨幣博物館の充実したコレクション群も趣がありますね。
スポットとは異なりますがこの地域には、いわば「日本橋人」と言える名人が沢山いらっしゃる。日本の伝統や誇りを伝えていこうという気概で、実に魅力的な方々です。

山田 私たちは江戸(東京)の地域ブランド「日本橋美人」というネーミングでも多岐にわたる事業を展開しています。「日本橋美人」とは、どのような女性だと思われますか。

清水 江戸と現代の繋がりにおいては、江戸の人々が築いた明るく開けた文化を、現在に享受していく活動は大切だと考えます。日本橋人にお墨付きをいただくのも宜しいでしょうし(笑)。立ち居振る舞いが美事で、着物姿が美しい女性は素敵に見えますし、それに伴った素養の高さがあってこそ「日本橋美人」と言えるのだと思います。


■撮影:小澤正朗  ■撮影協力:日本橋倶楽部

  ※記事の組織名や肩書は掲載当時のものです。
 
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