生まれた頃(昭和 32年)は祖父母と共に日本橋本店の上階に住んでいました。その後転居しましたが、週末になると遊びに来て、路地裏で遊んでいました。当時の室町界隈にはまだ木造の建物が多く、住民も多かったように思います。店先の番頭席に座っていた祖母が、ご贔屓にして下さっていた著名人とよく会話を交わしていたのを記憶しています。私自身は学生時代にアルバイトで頻繁に本店へ足を運びましたね。
私が 28歳(昭和60年)で入社した頃は、現在とほぼ変わらない、ビルが建ち並ぶ風景となっていました。当時の本店ビルを建て替えた父は「果物は太陽と水と大地の恵み」という考えを、1階に設置した噴水で表現しました。ビルの内部に噴水があるのは珍しいことだったので、大変に話題になったようです。
商いには信用と信頼が何よりも大切ですし、弊社ではどこよりも新鮮かつ厳選された果物を提供することに努めて参りました。お客様にお届けする商品の全てが食べ頃という完璧な状態であるべきですが、万難を排しても生ものですのでごく少数ですが何らかの不都合が生じてしまう場合もあります。そのため、全ての商品に保証書を同梱し、お客様の意に添わなければ何度でも交換させて頂くことにしています。
健康志向が高まっている昨今、果物にも安全性を求めるお客様の声に対応すると共に、日本未紹介の果物等も意欲的にお客様にご紹介して行きたいと思っています。
さらに、果物の品質向上にも産地との協力関係に力を注いでいます。例えばマンゴーは数年前まで全て輸入に頼っていましたが、近年は宮崎・沖縄で栽培し、原産国のものより美味しく作ることに成功しました。膨大な時間を研究に費やして実り、味・香り・こく・形のそろった果実は、ひとつの文化であると自負しています。
平成 17(2005)年夏完成予定の新本店ビル(38階建て大型複合ビル、仮称・室町三井新館新築工事)に構える店のプロジェクトは、私にとって一世一代の大事業であると言えるでしょう。平成14(2002)年5月から仮店舗へ移転していますが、このビルの完成に合わせて「果物文化を伝える」というコンセプトの元、1階は果物や果物関連食品の物販、2階はフルーツパーラーとレストラン、地下鉄の駅と繋がる地下1階には気軽にテイクアウトできるお店をオープンする予定です。また、これに伴い千疋屋ブランドのリヴイタルプロジェクトも進行中で、お客様に愛されるブランドとしての在り方を追求しています。